五色豆と金平糖、豆菓子の船橋屋総本店
2022年07月03日
寺町二条上ル 創業127年の 五色豆元祖の船橋屋総本店に目が留まりました。
といっても、本当はお店のショールームに猫の店町の紹介が一番に目に留まりました。
次に、幼少のころ、おいし~いなといって、いくつも続けて口に彫り込んでいた五色豆とか金平糖。
京都の元祖のお店やったんやと思って興奮して写メ撮りました。
といっても、今の若い人にはいったいどんな食べ物?って感じかな。。
甘くてほろ苦いなんとも不思議なお菓子で、油は不使用で職人さんの手で作る高級お菓子なんです。
作り方がHPに紹介がありましたのでちょっとだけ貼り付けます。
参考にね。
五色豆の前身は衣掛豆であって、起源は古く、藤原時代との説もございます。
はっきりと世上に現れたのは約470年前の明応年間、真盛上人が北野の辻で仏の道を説いた折塩豆に菜の干葉をかけたものを通行人に与えたところが、これが世の好みに投じ、以来その弟子たちによって上七軒の西芳寺に伝わったのが最初とされています。
その後天正15年。かの有名な太閤の北野の茶の席で千利休によって秀吉に進められ、以来利休の流れを汲む千家の茶道と共に普及し、江戸文化華やかな元禄年間にさらに改良され発展したものが、真盛豆や衣掛豆となって、明治時代にいたるまで伝承されたものであります。
一. 豌豆(えんどうまめ)を水洗いし、そして一日うましておく。
土や埃(ほこり)を取り去ると共に、乾燥を戻す役割をします。
二. 翌日また水に漬けて、柔らかくうます。
漬け過ぎると、煎った時にはじきすぎてつぶれ、早く水を切るとはじかなくなり、
硬くて食べれません。この加減は「長年のカン」でしかできな い難しい作業です。
三. 焙煎機で煎る。
出来るだけたくさんの豆が程よくはじいて、
柔らかく煎れ上がり、生でなく、焦がさず、ころあいに煎ることも、経験を必要とします。
四. 屑豆(くずまめ)や雑物を精選する。
作業する者一人づつが、「撰り板」を膝にのせて両手づつ、撰り分けます。
五. 衣掛けをする。
一日一度づつ蜜をかけて、毎日衣を重ねて行きます。
密の煮詰め加減、杓子の返し方、この工程が最も「年期」がいる工程です。
現在は大型糖衣機を使っていますが、蜜の煮詰め加減、蜜の掛け方にはやはり「年期」が必要です。
六. 色を付ける。
白は、そのまま、黄と赤は法定色素、茶は肉桂粉、青は青のりで色をつけていきます。